荒谷卓

政治的に存在することだけを期待され、現実味のない訓練をしてきた自衛隊員は、死に直面する場合の精神的訓練を受けてきてない。一体自分は何のために死を覚悟してまで行動するのだろうかという自問が出てくるのは当然であろう。あるいは、自分はいざというとき本当に引き金を引けるだろうかという自問も、何の目的で人を殺してまで行動するのかという問題に置き換えられよう。要するに、自己及び他人の死をも踏まえた行動哲学の欠如という問題に直面するのである。 — ダチョウは危険が迫ったとき、頭を砂に突っ込んで危険を見ないようにするという。これは不安全な実態から目をそむけて安心を欲する、象徴的な譬え話である。今の日本人の多くは、この譬え話でいうところのダチョウに似ていないだろうか? — 政治・宗教テロリストは、彼らの正義に基づいて決死の覚悟で行動している。彼らと戦うなら、それに負けない正義と覚悟を持ち合わせなくては勝てない。また逆に、正義感も持ち合わせずに「命令ならば殺します。命令ならば死にます」という機械人間は、戦闘員として不適切な人物と言わざるを得ない。